額田氏
ぬかたし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
市域の東部に額田の地名が残されている。「新撰姓氏録」の摂津国神別の項に、額田部宿禰〔すくね〕およびその同族の額田部がみえる。宿禰は天武天皇の時代に定められた姓〔かばね〕で、連〔むらじ〕の姓をもつ氏族に与えられたものである。連は、一定の職業をもって朝廷に仕える有力な氏族に与えられる姓であり、額田部氏も隷属民の額田部を率いて朝廷に仕えたのであろう。額田部は、屯倉〔みやけ〕を耕作する田部の一種と思われるが、756年(天平勝宝8)に孝謙天皇によって東大寺に旋入された猪名荘は、もとの屯倉の地であった可能性が強く、尼崎地域における額田部、あるいはそれを管理する額田部宿禰の存在を裏づけるものではなかと考えられる。