鳴尾村合併問題

なるおむらがっぺいもんだい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1940年(昭和15)ころ、大庄武庫・鳴尾・瓦木4村の合併をめざす武庫川市構想が検討されたが実現しなかった。戦後鳴尾村では単独市制実現をめざしていたが、狭小行政区域の不利や1950年ジェーン台風からの復旧困難などの理由により、西宮市との合併に傾いていった。西宮市は当時隣接町村を合併しての文化的都市建設を構想しており、鳴尾村に対して1951年1月9日正式に合併申し入れを行なった。これに対して尼崎市も鳴尾村を合併して市勢のさらなる伸張をはかるべく、2月13日合併申し入れを行なった。鳴尾村は、3月に82項からなる合併覚書案を両市に提示していずれも受託回答を得たので、同月13日住民投票を実施し西宮市との合併を決定、4月1日に西宮市域に編入された。住民投票前には両市により、ビラ撒きや宣伝車を投入してはげしい宣伝合戦が行なわれた。

執筆者: 地域研究史料館

参考文献

  • 『西宮市史』第3巻 1967
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