鴨社供祭人

かもしゃぐさいにん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  鴨社の御厨などに属し、神饌の供物として魚介類などの貢進を負担した人びと。供菜人とも書く。市域では、1084年(応徳元)に長洲御厨が成立すると、鴨社は、近隣の網人や浪人を招き寄せて積極的に供祭人の獲得につとめた。1118年(元永元)に鴨社が御厨の結番を定めて社役の順番などを決めたさい、彼らを神人と間人〔もうと〕の二階層に区分したが、その人数は、神人が300人、間人が200人であった。このころから、長洲御厨の住人が、みずから供祭人と称して海辺諸国を往反し、神威をかりて漁業・運輸・交通などの活動を盛んに展開しはじめた。鎌倉時代以降、新たに台頭してきた長洲の商工業者たちも、供祭人となって保護をうけて活躍した。このため鴨社供祭人の身分はながく存続し、室町時代における長洲御厨の地下の自治組織の中心をなす番頭も、この供祭人のなかから選ばれている。

執筆者: 田中文英

参考文献

  • 小島鉦作『神社の社会経済史的研究』 1987 吉川弘文館

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