11世紀

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  年表:

  世紀: 10世紀 - 11世紀 - 12世紀


  1001年から1100年までの100年間を指す。

11世紀の年表

  • 1005年(寛弘2)
    • 5月23日 - 藤原高遠の類船の多くが河尻を出港して間もなく漂損し多数の人が溺死した。
  • 1034年(長元7)
    • 8月12日 - 洪水のために淀・山崎・長洲辺の多くの人畜・家財が損なわれ、諸国の船も多く流された。
  • 1040年(長暦4)
    • 4月 - 関白頼通は先の肥後守定任の殺害犯肥後国人平正高が上京するのを捕えるため、検非違使を河尻辺へ派遣した。
  • 1048年(永承3)
    • 10月 - 椋橋庄の住人が関白頼通の高野参詣にさいして水手役を勤めた。
  • 1055年(天喜3)
    • 9月12日 - 猪名庄司の凡河内らは、庄民の田堵秦成重が隠田し、未進分として差し押えた稲までも刈り取ってしまったと東大寺に訴えた。
    • 10月16日 - 東大寺僧善久は猪名庄の庄司・田堵摂関家・東大寺の下文があると称して地子米上納を拒否され、地子米上納を命じる摂関家下文の下付を東大寺に願った。
  • 1062年(康平5)
    • 1月7日 - 橘御園は関白頼通の春日詣にさいして、褁飯200果を納めた。
  • 1074~1077年(承保年中)
    • このころ - 杭瀬庄が開墾され藤原通俊が領家となった。
  • 1078年(承暦2)
    • 2月16日 - 左弁官は、武庫郡内の住人が山手と武庫川の率分料を納めずに広田社神領山の木を切ることを停止。
  • 1084年(応徳元)
    • 8月10日 - 長洲崎の皇太后宮職散所が鴨御祖社領山城栗栖郷神領田と交換され、鴨社領長洲御厨が成立した。
  • 1091年(寛治5)
    • 5月30日 - 鴨社神民が京畿に満ちむやみに乱暴するのを禁じるよう鴨社に宣旨が下された。
    • 6月6日 - 讃岐国司の訴えにより、長洲網人が諸国を往反しみだりに鴨社供祭人と称して狼藉するのを停止するよう、鴨社に宣司が下った。
  • 1092年(寛治6)
    • 6月 - 長洲荘住人の永行は私宅に人を集めて双六を打ったとして鴨社によって同庄から追放された。
    • 7月10日 - 東大寺長洲荘住人からの訴えにより、鴨社が長洲荘の住人を追放し同寺領の庄内に社領を新立することなどを非例として抗議した(この後、1147年・久安3まで東大寺と鴨社の争論が続く)。
  • 1099年(承徳3)
    • 4月22日 - 藤原通俊が杭瀬島の領田などの所領を処分した。
  • 1100年
    • このころ - 大江匡房が、神崎江口・蟹島とともに遊女が群をなす天下第一の楽地であると「遊女記」に記した。

10年紀と各年

1000年代1000100110021003100410051006100710081009
1010年代1010101110121013101410151016101710181019
1020年代1020102110221023102410251026102710281029
1030年代1030103110321033103410351036103710381039
1040年代1040104110421043104410451046104710481049
1050年代1050105110521053105410551056105710581059
1060年代1060106110621063106410651066106710681069
1070年代1070107110721073107410751076107710781079
1080年代1080108110821083108410851086108710881089
1090年代1090109110921093109410951096109710981099
1100年代1100110111021103110411051106110711081109

  事項が少ないため、各年、10年紀はこのページへのリダイレクトです。

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