年表:
世紀: 16世紀 - 17世紀 - 18世紀
10年紀: 1620年代 1630年代 1640年代 - 1650年代 - 1660年代 1670年代 1680年代
各年: 1650年 1651年 1652年 1653年 1654年 1655年 1656年 1657年 1658年 1659年
1650年から1659年までの10年間を指す。
1650年代の年表
- 1651年(慶安4)
- 1月15日 - 尼崎藩は、キリシタン禁制、旅人・浪人への宿貸し禁止など9か条の触れに対する領民の請け証文を提出させた。
- 1652年(慶安5)
- 9月2日 - 尼崎藩は、農民が年貢皆済前に銀・米を貸し出すことの禁止、年貢米の収穫・俵仕立てなど10か条の規定に対する領民の請け証文を提出させた。
- 1653年(承応2)
- 5月15日 - 大坂玉造の鍵屋九郎兵衛と海老江村中兵衛・次郎兵衛は葭島の太布脇開発を尼崎藩に願い出た。
- 9月23日 - 太布脇開発が許可されたので中兵衛らは請書を提出した。
- この年 - 近松門左衛門が杉森信義の次男として誕生。
- 1654年(承応3)
- 1月 - 尼崎藩は、代官の許可なくして他領・他国へ奉公・縁付け・養子に出すことの禁止など9か条の法度に対する領民の請け証文を提出させた。
- 4月13日 - 常松村地内の生島井溝の拡幅にともない、尼崎藩は溝敷地分の年貢免除を申し渡した。
- この年 - 尼崎藩主青山幸利は、幕府が発したキリシタン禁止およびキリシタン訴人へのほうびの定めを高札で掲示すると同時に領内村々へ触れた。
- 1656年(明暦2)
- この年 - 東武庫村武右衛門・水堂村七左衛門・常吉村太郎左衛門の酒造高は、それぞれ140石・100石・40石であった。
- 1658年(万治元・明暦4)
- 2月 - 尼崎藩は、家中への奉公人および米打ち・材木山出しの日用稼ぎ人その他の給銀や就業地域などについての規制と罰則を村々へ申し渡した。
- 8月3日 - 下大市村支配の武庫川西堤が決壊。
- 8月3日 - 大洪水が起こった。