年表:
世紀: 16世紀 - 17世紀 - 18世紀
10年紀: 1640年代 1650年代 1660年代 - 1670年代 - 1680年代 1690年代 1700年代
各年: 1670年 1671年 1672年 1673年 1674年 1675年 1676年 1677年 1678年 1679年
1670年から1679年までの10年間を指す。
1670年代の年表
- 1670年(寛文10)
- 8月4日 - 大井組の猪名川筋瀬堀を三平井組が埋めたことから両組の水論が起こった(三平井組・大井組水論)。
- 8月23日 - 大風・高潮のため、尼崎城の石垣に多少被害が出たほか、城下の家中・町家二百軒余りが吹き倒され、築地町浜辺では二十軒余りが流失した。城下近くの村々でも百五十軒余りが潰れたほか、道意新田では堤が崩れ、家屋がすべて流出した。
- 1671年(寛文11)
- 3月16日 - 大井組と三平井組は立会絵図を作成し、双方とも猪名川の瀬掘りを行なわないとの証文を幕府の奉行所へ提出した。
- 1672年(寛文12)
- 6月27日 - 京都所司代・京都町奉行は、守部村が大島井溝筋に掘り立てた溝・池の埋め戻しを命じた。
- 1674年(延宝2)
- この年 - 尼崎藩領である今津村(現西宮市域)の倉屋又左衛門、干鰯屋助左衛門が銀札を発行した。
- 1676年(延宝4)
- 12月 - 尼崎藩は、年貢上納に関する農民相互の相談禁止、本田への木綿作付け禁止、年貢皆済前の農民米売買禁止など8か条の条々を触れた。
- 1677年(延宝5)
- 1678年(延宝6)
- 11月 - 豊島・川辺・武庫郡村々の入会山長尾山(現宝塚市域)の検地が行なわれ、山子が尼崎市域8か村を含む58か村となった(長尾山入会)。
- この年から翌年まで - 幕府直領村々では検地が行なわれた。