1840年代
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
年表:
10年紀: 1810年代 1820年代 1830年代 - 1840年代 - 1850年代 1860年代 1870年代
各年: 1840年 1841年 1842年 1843年 1844年 1845年 1846年 1847年 1848年 1849年
1840年代の年表
- 1840年(天保11)
- 1841年(天保12)
- 1842年(天保13)
- 1月 - 尼崎藩からの新銀札引請けを促す回状に対して、村々から引請けの容赦願いや減少願いが出された。
- 3月26日 - このころより阿波国のお陰参りの者が尼崎城下を通りはじめた。
- 4月18日 - 次屋村と浜村の農民から樽巻菰・縄を買い占めた両村の4人は、買入れ価格の値上げを要求して尼崎荒物仲間に売り渡さなかったために大坂町奉行所へ訴えられた。
- 6月13日 - 尼崎藩は、百姓に対して7か条、町人に対して12か条の生活統制規定を触れた。
- 6月15日 - 老中水野忠邦は、江戸・大坂周辺の大名飛び地・旗本知行所の公収を目的とする上知令を発した。
- 6月16日 - 尼崎藩は在方での商売および出稼ぎ職人を禁止した。
- 6月19日 - 尼崎藩は、瓦林組大庄屋の願いにより在方諸商人差止めを解除した。
- 6月 - 尼崎魚問屋仲間は、幕府の株仲間解散の触にしたがって魚市屋と改称し、また商品の2割値下げを行なった。
- 7月8日 - 尼崎藩は、将軍家の上野御霊屋普請手伝い入用銀を大坂商人から借用し、返済のための御用銀上納を領内へ高掛りで申し付けた。
- 10月19日 - 藩の鶏卵方役人は、月々家別に卵2個または代銭40文ずつの上納を村々に命じた(専売制)。
- 11月 - 尼崎藩は、大庄屋・村々庄屋を新城屋新田会所に招き、大砲の献上を依頼した。
- 12月 - 尼崎藩の大砲鋳造加勢として、正銀・唐金が藩領村々から上納された(翌年2月まで続いた)。
- この年 - 藩主松平忠栄の直命によって、西大手の腰掛けの後方に目安箱が設置された。
- 1843年(天保14)
- 1月11日 - 尼崎藩は、前年に始めた新銀札引請けの仕法を改正した。
- 7月6日 - 尼崎藩に献上された大砲7挺の試射が武庫川原で行なわれた。
- 7月 - 老中土井利位が摂津国に領有する飛び地領村々及び、神戸藩・館林藩の河内国飛び地村々は、先納調達銀の返済に支障がおこるとして、この時期から9月までくり返し大坂周辺の大名飛び地・旗本知行所上知令を実施しないよう嘆願した。
- 8月8日 - 奢侈禁止令の実施にともない、東富松村で藩役人・大庄屋・村役人による座敷改めが行なわれた。
- 閏9月7日 - 老中土井利位が上知令撤回の触書を出した。
- 10月16日 - 尼崎藩は、鶏卵料上納を奇特として藩領村々の村役人・鶏卵支配人を下屋敷へ呼び酒肴を下した(専売制)。
- 12月13日 - 守部村の百姓は、凶作に対する領主の手当を求める願書に庄屋が調印を拒んだので、夜中に太鼓を打って庄屋宅へ強訴した。
- この年 - 西新田村地先に四郎兵衛新田が開発された。
- 1845年(弘化2)
- 1846年(弘化3)
- 1848年(嘉永元)
- 1849年(嘉永2)