1872年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:18世紀 - 19世紀 - 20世紀
年表 10年紀:1850年代 1860年代 1870年代 1880年代 1890年代
周辺の年:1869年 1870年 1871年 1872年 1873年 1874年 1875年

明治5年

  • 2月10日 - 前年1871年11月に廃止が決定した尼崎県兵庫県移管が完了し、現尼崎市域のすべてが兵庫県管轄となり、旧尼崎県士族・卒は兵庫県貫属に編入された。
  • 2月
    • 兵庫県は、武庫郡全域と川辺郡南半部を管轄する尼崎出張所を開設した。
    • 兵庫県が50区に分画され、尼崎市域は第18~31区にわかれた。
    • 兵庫県は地所永代売買の解禁を布達。
  • 3月 - 守部村の庄屋は、近年の洪水による村内の難渋者を鉄道工事人夫に採用してほしいと鉄道掛の役人に対して願い出た。
  • 3月 - 赤穂郡上郡村の尼崎出張陣屋の役人が尼崎へ引き揚げた。
  • 4月25日 - 兵庫県尼崎出張所を廃止し、現尼崎市域は替わって復活した兵庫県西宮出張所の管轄下となった。
  • 4月 - 兵庫県は庄屋・名主・年寄を廃して戸長・副戸長に改称し、尼崎・三田の戸長も年番戸長と改称すると布達した。
  • 5月2日 - 中在家町浜先の魚市場の問屋たちは、新規に許可された魚問屋に別の市場を設けさせないよう兵庫県に願い出た。
  • 7月14日 - 兵庫県壬申地券の発行準備として土地の持主を調査することを布達した。
  • 7月 - 守部村から西川村に至る13か村は、鉄道用地として不作付けの田地の検見高引きを兵庫県に願い出た。
  • 7月20日 - 尼崎より篠山にいたる郵便が開始された。
  • 8月2日 - 兵庫県の分画が19区に改められ、尼崎市域は第7~12区にわかれた。また各区に区長1人が置かれた。
  • 8月 - 兵庫県は旧尼崎貫属の世襲卒を士族に編入した。
  • 8月 - 大阪府の西村勘兵衛は、生瀬から中浜新田に至る武庫川蓬川の高瀬通船を許可され、西新田村の運送問屋小林信三郎ら5人とともに請書を県に提出した。
  • 9月 - 尼崎での陸運会社設立にともない、宮町中在家町別所村・竹谷新田などの6人が、人馬賃銭表を兵庫県に届け出た。
  • 10月27日 - 政府は、元尼崎県管下摂津国の社寺領を上知したうえで、従来の貢租の半額を社寺に支給するように兵庫県に命じた。
  • 11月2日 - 兵庫県裁判所を県庁から独立して設置した。
  • 12月3日 - 太陽暦が採用され、この日が1973年(明治6)1月1日となった。
  • この年 - 兵庫県は区長・戸長・什長規則を制定した。
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