1890年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
年表 10年紀: | 1870年代 1880年代 1890年代 1900年代 1910年代 |
周辺の年: | 1887年 1888年 1889年 1890年 1891年 1892年 1893年 |
明治23年
- 1月25日 - 尼崎町長に野田正景が就任した。
- 2月10日 - 3等級の家屋種別税率と建坪基準による町税戸別割賦課を含む22年度歳入予算説明書が尼崎町会に提出された。
- 2月22日 - 尼崎町長は、町会が町税戸別割の賦課を県税戸数割と同様の基準にすると決議したのに対し、職権により再議を要求した。
- 3月24日 - 川辺郡長は、尼崎町の建坪による町税戸別割賦課方法を不許可とした。
- 4月18日 - 伊丹小学校高等科生男女70人は、神崎駅で天皇送迎の後、尼崎町で高木宅の牡丹参観、海岸での蛤取り、魚市の見学をした。
- 4月23日 - 現尼崎市域初の幼児教育施設として、私立博愛幼稚園が桜井神社から用地を借り受け新築開園した。
- 5月17日 - 郡制・府県制が公布された。
- 5月28日 - 川辺郡私立勧業会において、米価騰貴により困窮している細民農家の救済策として、道路修繕等の起工による雇用創出が議論された。
- 6月5日 - 尼崎町会は、米価騰貴対策として予備費をもって貧民に白米2合を施与することとした。
- 8月4日 - 尼崎町でコレラ患者が発生し、これ以後大流行した。
- 11月25日 - 尼崎紡績の第一工場が試運転を行なった。
- 12月20日 - 尼崎紡績の第一工場が太糸製造を開始した。
- この年 - 尼崎町は大洲村の避病舎を旧城郭内西三の丸(現北城内)に移転し尼崎避病院と改称した。