1891年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
年表 10年紀: | 1870年代 1880年代 1890年代 1900年代 1910年代 |
周辺の年: | 1888年 1889年 1890年 1891年 1892年 1893年 1894年 |
明治24年
- 1月13日 - 観瀾小学校に教育勅語が下賜された。
- 2月13日 - 前年(1890年)12月に製造を開始した尼崎紡績が、この日をもって開業した。
- 3月29日 - 尼崎紡績が自家発電によって電灯を点灯した。
- 4月1日 - 保性簡易小学校(現市立立花小学校)が立花尋常小学校と改称され、難波尋常小学校(現市立難波小学校の前身)が立花尋常小学校難波分校となった。
- 4月 - 尼崎町と小田村の間で大黒橋樋門の建設をめぐり水利紛争が起こった。
- 5月25日 - 士族を中心とする尼崎人の親睦会「琴陽会」が、機関紙『琴陽之珠』を創刊した。
- 7月24日 - 川辺馬車鉄道の長洲-尼崎間が開通した。
- 8月16日 - 尼崎港の防波堤が暴風のため大破し、町立灯台が全壊した。
- 8月 - 西昆陽村の村民一同は、村の矯風・改良を旨とする納税励行規約書に連署した。
- 9月6日 - 川辺馬車鉄道の長洲-伊丹間が開通した(8月15日とする史料もある)。
- 10月 - 兵庫県が改正小学校令によって小学校区の変更を布達し、尼崎町は全域が第1番学区となった。
- 10月 - 尼崎東部尋常小学校が尼崎西部尋常小学校の分教場とされた。
- 11月1日 - 小墾田・衛正の2簡易小学校を合併して小田尋常小学校(現市立下坂部小学校)が設置され、衛正校(現市立長洲小学校)は分教場となった。
- 11月 - 尼崎紡績は、濃尾地震の罹災地から女工を募集し寄宿舎を設置した。