1896年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
年表 10年紀: | 1870年代 1880年代 1890年代 1900年代 1910年代 |
周辺の年: | 1893年 1894年 1895年 1896年 1897年 1898年 1899年 |
明治29年
- 1月12日 - 尼崎竹器製造が燐寸製造所建設のため、旧城郭内の里道の払い下げを役場に願い出た。
- 1月27日 - 小田村長が川辺郡の大阪府への管轄替え要望議案を同村会に提出した。
- 1月29日 - 川辺郡全域の大阪府への管轄替え希望意見書が、尼崎町長より同町会の諮問に付され、賛成多数で提出に決まった。
- 4月1日 - 兵庫県が郡の統合を実施し、33郡を25郡とした。この結果、武庫・菟原・八部3郡が合併して武庫郡となり、武庫菟原郡役所が武庫郡役所となった。
- 4月13日 - 尼崎町会は、琴城尋常高等小学校に裁縫専修科を設置することを議決した(尼崎高等女学校)。
- 5月26日 - 尼崎町長に小森純一が当選した。
- 5月27日 - 尼崎紡績が細番手増産のため第三工場の建設に着手した。
- 5月 - 三収組紡績所が、城内の屑糸工場北隣の新工場で営業を開始した。
- 7月1日 - 郡制が実施された。
- 7月20日 - 尼崎町会で第1回の町選出郡会議員選挙が実施され、三浦長平が当選した。
- 7月20日 - 武庫・川辺両郡の各町村で町村ごとの郡会議員が選出された。
- 8月12日 - 尼崎町会は、町内を10区に区分し各区に区長および代理者各1名を設置することを議決した。
- 8月17日 - 尼崎町会は、町の有力者・町会議員など19人による別所村小役人町への遊廓設置免許願いについて、兵庫県知事の諮問をうけた(遊廓設置問題)。
- 8月25日 - 尼崎基督教青年会の20余人を代表して内田尚長は、遊廓設置反対の陳情書を兵庫県知事に提出した(遊廓設置問題)。
- 8月31日 - 藻川堤防の決壊によって、園田村では田畑の埋没・浸水など616町余、家屋の全壊・浸水など458戸の被害をうけた。
- 9月15日 - 尼崎町会は、遊廓設置についての兵庫県知事の諮問に対して設置賛成を議決した(遊廓設置問題)。
- 10月1日 - 府県制が実施された。
- 10月 - 『琴陽雑誌』が尼崎町への遊廓設置に反対する論説を掲載した(遊廓設置問題)。
- 10月17日 - 大阪の浪花教会の伝道教会であった尼崎教会が独立教会となった。
- 11月 - 兵庫県が尼崎町への遊廓設置願いを却下した(遊廓設置問題)。
- 12月3日 - 尼崎町長は、兵庫県の教員講習会に入会する町民に補助金を支出して、小学校教員補充をはかる議案を町会に提出した。
- 12月28日 - 尼崎燐寸が休業した。
- 12月 - 尼崎挽材株式会社が築地町に設立された。