1898年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
年表 10年紀: | 1870年代 1880年代 1890年代 1900年代 1910年代 |
周辺の年: | 1895年 1896年 1897年 1898年 1899年 1900年 1901年 |
明治31年
- 3月17日 - 尼崎町は、名誉職の町長が得られないので有給町長条例の許可を内務省に求めていたが、却下された。
- 5月10日 - 尼崎町長に野田正景が就任した。
- 8月15日 - 道意新田村の甘薯作付け農家24人は、甘薯売捌き期間中の利益保護のため4か条の規約書を作成した。
- 9月1日 - 阪鶴鉄道は、官線乗入れによって大阪-生瀬間に直通列車を運転した。
- 9月 - 園田村のうち戸ノ内村など5か村の村民が、明治29・30年の浸水被害のため県税の免除または延納を願い出た。
- 9月 - 武庫川の増水と高潮のため西大島の堤防が決壊し、道意新田・浜新田・又兵衛新田などに浸水した。
- 10月26日 - 尼崎町は、別所・大物・竹谷新田の3部落が兵庫県地価修正請願同盟組合に加盟希望を申し出たと川辺郡役所に報告した。
- 11月26日 - 摂津電気鉄道の創立総会が開催かれた(摂津電気鉄道計画)。
- 12月24日 - 尼崎町会は、川辺郡の大阪府への管轄替え実現のための全行動を理事者に一任することを全会一致で議決した。
- この頃 - 立花村役場が栗山地内の立花尋常小学校東側から同地内字松本(現生島公園)に移転した。