1912年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1890年代 1900年代 1910年代 1920年代 1930年代 |
周辺の年: | 1909年 1910年 1911年 1912年 1913年 1914年 1915年 |
明治45年/大正元年
- 1月20日 - 尼崎紡績・旭硝子・阪神電鉄など尼崎町内主要企業が出席して、前年(1911年)秋に発足した尼崎工業者共和会の発会式が行なわれた。
- 3月1日 - 阪鶴線が福知山線と改称された。
- 3月11日 - 兵庫県が尼崎町会の家屋税施行意見書をいれ、県税戸数割にかえて家屋税を施行したのにともない、町税も戸数割から家屋割に変更された。
- 3月 - 岸本製釘所が中大洲(新城屋新田、現東向島西之町)に設立された。
- 4月16日 - 阪鶴鉄道尼崎支線に金楽寺駅が設置された。
- 5月13日 - 尼崎瓦斯が創設された。
- 7月30日 - 明治から大正に改元された。
- 7月 - 大阪鉄工所が西大洲(新城屋新田、現西向島町)に鋳鉄管工場を建設した。
- 10月1日 - 兼重製鋼所が小田村西長洲に創立された。
- 10月20日 - 横浜電線製造大阪工場が大洲で操業を開始した(古河電気工業『創業100年史』による。ただし尼崎市役所文書『工場票』には8月創業と記録されている)。
- 11月12日 - 神戸の鈴木商店が丸島築港会社の創立および築港計画を発表した(丸島築港計画)。
- 12月14日 - 尼崎で最初の公衆電話(自働電話)が庄下遊園地に設置された。
- 12月
- この年 - 尼崎鍼按灸治組合の学校が私立鍼灸学館と改称して兵庫県の認可を受けた。