1916年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1890年代 1900年代 1910年代 1920年代 1930年代 |
周辺の年: | 1913年 1914年 1915年 1916年 1917年 1918年 1919年 |
大正5年
- 1月 - 尼崎工業者共和会は、商業経営者の加盟により尼崎商工共和会と改称した。
- 3月6日 - 園田村長に粟生徳次郎が就任した。
- 3月28日 - 内務省から川辺郡役所に対して市制施行告示の電話通知があり、さらに川辺郡役所から尼崎町に対して通知された。
- 3月31日 - 尼崎町解散式が挙行され、桜井忠剛を尼崎市長臨時代理者とすることが決定された。
- 3月 - 森薄板製造所が西大物で開業した。
- 4月1日
- 4月9日 - 尼崎第一尋常小学校校庭において官民合同市制実施祝賀会が催され、その後4月11日まで3日間祝賀行事が行なわれた。
- 4月 - 市制施行にともない旧城郭内西三の丸の尼崎避病院が市立尼崎伝染病院と改称した。
- 5月1日
- 5月5日 - 松島のユニオン硝子が極東硝子と改称した。
- 5月21日 - 尼崎市医師会が設立された。
- 5月30日 - 尼崎市会の第1回三級議員選挙が実施された。
- 5月31日 - 尼崎市会の第1回一級・二級議員選挙が実施された。
- 6月17日 - 尼崎市は東・西難波を除く全市域を区域とする上水道の敷設認可を申請した。
- 7月17日 - 尼崎市会における市長選挙で桜井忠剛が第一候補者に当選した。
- 8月11日 - 尼崎市長に桜井忠剛が就任した。
- 8月25日 - 内外製肥が松島に設立された。
- 8月26日 - 尼崎市内でコレラ患者が発生し、同年中の死者45人を数えた。
- 8月 - セルロイド製造の大阪繊維工業が神崎に設立された。
- 9月20日 - 市制施行を記念して、土井源友堂が『尼崎市現勢史』を刊行した。
- 10月5日 - 尼崎市による東・西難波を除く全市域を区域とする水道の敷設が内務省により認可された。
- 11月11日 - 日本ユニオン硝子が東難波に設立された。
- 12月 - この月から翌1917年1月にかけて、尼崎紡績の男性労働者を中心に最初の友愛会尼崎分会が設立された。
- この年 - 大日本紡績の土地買収・工場増築にともない、杭瀬字松ヶ下の東墓が杭瀬字見立新田(現杭瀬南新町4丁目)の現在地に移転した。