1920年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1900年代 1910年代 1920年代 1930年代 1940年代 |
周辺の年: | 1917年 1918年 1919年 1920年 1921年 1922年 1923年 |
大正9年
- 1月7日 - 尼崎市立通俗図書館が宮町に開館した。
- 2月7日 - 旭硝子寄宿舎の職工91人が硝子吹き奨励金値上げを要求してストを計画したが、21人が警察に引致され失敗した(旭硝子争議)。
- 2月 - 新発足した日本電線製造は、横浜電線製造尼崎工場及び古河鉱業尼崎工場の現物出資を受けた。
- 3月1日 - 尼崎市は社会・土木事業費等の支出増加に対して市税の制限外課税の認可を国に申請した。
- 3月12日 - 園田村長に広田利右衛門が就任した。
- 3月 - 武川ゴムが竹谷新田で操業を開始した。
- 3月 - 川口製肥工場が初島で開業した。
- 4月1日
- 4月 - 尼崎第三尋常小学校に西夜学校が付設され、第一尋常小学校付設の夜学校が東夜学校と改称された。
- 5月10日 - 尼崎市が独立選挙区となって最初の衆議院議員選挙で中馬興丸が当選した。
- 5月31日 - 尼崎市会の三級議員選挙が実施された。
- 5月 - この頃から不況により尼崎市内工場の閉鎖・休業・縮小が続出した。
- 6月1日 - 尼崎市会の一級・二級議員選挙が実施された。
- 6月 - 尼崎伸銅が東新城屋新田(現東向島東之町)に設立された(同社発行のパンフレットによる。なお『財界三十年譜』は創立総会の日をもって7月10日設立としている)。
- 7月14日 - 大日本セルロイド神崎工場が不況のため一時閉鎖された。
- 7月16日 - 阪神急行電鉄の神戸線・伊丹支線が開通し塚口駅が設置された。
- 7月23日 - 尼崎市は、市社会事業調査委員設置規定を告示した。
- 7月29日 - 日本硝子工業が大日本麦酒に買収されて同社製壜工場となった。
- 8月1日 - 兵庫県が武庫川改修工事(第1期工事)を着工した。
- 8月11日 - 尼崎市長に桜井忠剛が就任した(再任)。
- 9月3日 - 日本労働総同盟友愛会尼崎・武庫川支部に樽工西宮支部を加えて組合員700人を要する尼崎合同労組が結成された
- 9月14日 - コレラの流行によりこの日までに患者28名(死者21名)が発生した。
- 9月
- 日本スピンドル製造所が久々知に神崎工場を建設した。
- 尼崎瓦斯が神戸瓦斯の系列下に入った。
- 10月1日 - 尼崎市史編纂のため自治行政史臨時調査係が設置された。
- 10月25日 - 尼崎市立職業紹介所が開所した。
- 11月 - 尼崎市は、1918年9月に旧城郭内西三の丸に設置した市設物品販売所を整備・拡張し、公設市場と改称した。
- 12月7日 - 旭硝子が人口吹きを機械吹きに改めて職工700人を6日付で解雇し、争議となった(旭硝子争議)。
- 12月18日 - 武庫村会は小学校教員俸給の国庫支弁を求める建議請願を議決した。
- 12月19日 - 田中車輛工場が松島町に創設された。
- この年 - 尼崎市は増大する社会事業に対応するため庶務課から社会課を独立させ設置した。また住宅難と家賃高騰の対策として市営住宅建設を開始した。
- この年 - 東洋リノリューム(現社名:東リ)が伊丹町内(現伊丹市東有岡)から園田村猪名寺にかけて建設した工場が、10月11日に落成検査を受け、12月28日にリノリューム試作第1号の製造に成功した。