1924年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1900年代 1910年代 1920年代 1930年代 1940年代 |
周辺の年: | 1921年 1922年 1923年 1924年 1925年 1926年 1927年 |
大正13年
- 1月4日 - 中山亜鉛鍍金工業所の労働者らが尼崎鍍金工組合を結成した。
- 1月20日 - 阪神電鉄が伝法線大物-伝法間の営業を開始した。
- 3月8日 - 日本労働総同盟尼崎連合会の再建発会式が組合員350人を集めて西性寺で開かれ鈴木文治らが演説し、連合会組織再建の取り組みが始まった。
- 4月15日 - 尼崎労働学校が広徳寺で開校した。
- 4月28日 - 阪神電鉄従業員組合の発会式と演説会が尼崎市立図書館で開かれた。
- 5月1日
- 5月5日 - 市立尼崎中学校が大物(現北大物町、県立尼崎高等学校敷地)に建設した鉄筋コンクリート三階建新校舎の一部が完成し(開校記念日)、翌5月6日、尼崎尋常高等小学校内の仮校舎から新校舎に移転した。
- 5月19日 - 尼崎廃兵戦友会の発会式が行なわれた。
- 5月20日 - 宝塚尼崎電気鉄道が創立され、本社が大物に設置された。
- 5月31日 - 尼崎市会の二級議員選挙が実施された。
- 6月1日 - 尼崎市会の一級議員選挙が実施された。
- 6月28日 - 阪神電鉄従業員組合は、組合承認など15か条の要求を会社が拒否したことからストを決行した(阪神電鉄争議)。
- 6月 - 東難波に地主小作人協調組合の一誠会が設立された。
- 7月4日 - 阪神電鉄争議解決促進尼崎市民大会が市立図書館で開かれ、調停にあたる交渉委員を選出した。
- 7月5日 - 麒麟麦酒神崎工場で職工代表の賃上げなどの嘆願書を会社が拒否したことから争議となり、130人がストを行なった。
- 7月10日 - 阪神電鉄従業員組合の組合長ら争議団の幹部5人が、杭瀬都座で開かれた従業員大会において尼崎警察署に逮捕された(阪神電鉄争議)。
- 7月12日 - 阪神電鉄従業員組合は従業員大会において争議の妥結を決定した(阪神電鉄争議)。
- 7月15日 - 麒麟麦酒神崎工場の争議が、解雇手当の支給その他の条件により妥結した。
- 8月1日 - 甲子園球場が開場した。
- 8月12日 - 世界的前衛画家・白髪一雄(しらがかずお)が、尼崎市西本町の木市(きいち)呉服店白髪家長男として生まれた。
- 8月 - 尼崎青物市場が中在家町浜から南城内に移転した。
- 9月22日 - 尼崎市内でペスト患者が発生した。10月末までに患者が3名を数え、いずれも死亡した。
- 9月 - 富永商店が初島の東亜鍍金の工場を購入し尼崎工業所を開設した。
- 10月 - 東難波・浜で小作争議が起こった。
- 11月 - 下坂部の小作人が小作料を地主3分・小作人7分に減額するよう要求し、地主側は5分5分を固執して紛争が続いた。
- 11月 - 金楽寺・尾浜・次屋・七松で小作争議が起こった。
- 12月22日 - 都市計画兵庫地方委員会が尼崎都市計画区域を尼崎市と小田・大庄・立花・武庫・園田村の1市5村に決定した。
- 12月 - 東富松で小作争議が起こった。
- この年 - 旱ばつにさいして川辺郡の九名井と豊能郡の原田井が共同で猪名川に堰を築いたため、下流の19か村と紛争になった。