1925年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1900年代 1910年代 1920年代 1930年代 1940年代 |
周辺の年: | 1922年 1923年 1924年 1925年 1926年 1927年 1928年 |
大正14年
- 1月10日 - 西難波の一部を施行区域とする阪神国道(現国道2号)沿線の土地区画整理事業として、西難波耕地整理事業が計画認可された。
- 2月16日 - 二大悪法案(治安維持法案・労働争議調停法案)に反対する尼崎市内外労働者大会が、総同盟尼崎連合会の主催により市立図書館で夜間に開催された。
- 3月14日 - 日本農民組合東難波支部が設立された(記録に残るもっとも早い尼崎地域の支部組織、後に尼崎支部と改称)。
- 3月 - 東浜に日本電力尼崎火力発電所が完成した。
- 4月1日
- 4月 - 私立難波幼稚園が東難波に開設された。
- 5月1日 - 総同盟尼崎連合会が貴布禰神社で尼崎初のメーデー大会を開き、参加者500人は8時間労働制実施その他を決議して阪神庄下停留場までデモを行なった。
- 5月16日 - 武庫村長に桜井米次郎が就任した。
- 7月18日 - 総同盟尼崎連合会が中心となって、尼崎初の無産政党・関西民政党の結党式を尼崎市立図書館で開いた。
- 8月 - 小田村初の幼稚園として、私立小田幼稚園が杭瀬に開設された。
- 9月5日 - 日本労働総同盟尼崎連合会の創立大会が尼崎市立図書館で開かれ、連合会が正式に再建発足した。これによりようやく総同盟大阪連合会からの実質的な独立が実現した。
- 9月20日 - 出屋敷の西墓などを整理して西難波の市設墓地へ移転した。
- 10月16日 - 別所および東難波の一部を施行区域とする阪神国道(現国道2号)沿線の土地区画整理事業として、北部耕地整理事業が計画認可された。
- 11月20日 - 日本リーバ・ブラザーズが神戸瓦斯に買収され大日本石鹸と改称した。
- 11月 - 東難波の小作人数人が立入禁止処分の田の稲を刈り取った事件の調停が成立し、小作人は小作地を返還し小作米を支払うこととなった。
- 12月1日 - 私立技芸学館が大物町に移転し、翌1926年琴浦女子実修学校と改称した。
- 12月14日 - 市立尼崎中学校が大物(現北大物町、県立尼崎高等学校敷地)に新築した鉄筋コンクリート三階建新校舎が全面竣工した。
- 12月25日 - 私立中外商業学校が大阪から東富松に移転し、翌1926年1月8日に授業を開始した。