1929年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1900年代 1910年代 1920年代 1930年代 1940年代 |
周辺の年: | 1926年 1927年 1928年 1929年 1930年 1931年 1932年 |
昭和4年
- 1月22日 - 尼崎バスの神崎線(伊丹植松-小中島-長洲)と尼崎線(伊丹植松-塚口-長洲)が免許された。開業時期は不明。
- 1月 - 深夜業廃止を目前に控えて、総同盟尼崎連合会は大阪合同紡績神崎工場の労働者620人を組織し尼崎紡織労働組合を結成した。
- 2月 - 深夜業廃止を目前に控えて、日本労働組合同盟傘下の大阪合同紡績神崎工場の杭瀬支部に大日本紡績尼崎工場、合同毛織戸之内工場などを加え、日本紡織労働組合関西支部連合会(1,658人、のちに関西本部となる)が結成された。
- 2月2日 - 尼崎瓦斯が立花村に供給を開始した。
- 3月11日 - 尼崎共立銀行が山口銀行に吸収され、別所村の共立銀行本店は山口銀行尼崎支店となった。
- 3月16日 - 尼崎築港会社が浅野総一郎や山下亀三郎らの出資により設立された。
- 3月20日 - 尼崎市上水道から小田村への分水契約が結ばれた。
- 3月 - 尼崎製釘所新工場が西高洲新田(現西高洲町)に完成した(現アマテイ)。
- 4月1日 - 大阪合同紡績神崎工場と大日本紡績尼崎工場が、改正工場法の法定期限を3か月繰り上げて深夜業廃止を実施した。
- 4月4日 - 寺町の栖賢寺が京都の修学院へ移転し再建された。
- 4月14日 - 阪神電鉄が出屋敷-東浜間の海岸線の営業を開始した。
- 4月16日 - 4.16事件により尼崎では阪神電鉄の車掌2人が検挙された。
- 4月
- 私立隣愛幼稚園が金楽寺に開設された。
- 日本エレベーター製造が大阪市内から潮江字東大寺(現潮江1丁目)に移転し神崎工場を開設した。
- 5月1日 - 合同紡神崎工場争議の情勢から尼崎のメーデー大会は許可されず、総同盟尼崎連合会傘下組合600余人は西宮の大会に参加した。
- 5月3日 - 総同盟尼崎紡織労働組合が賃上げ・退職手当制定の嘆願書を合同紡神崎工場に提出した。以後大争議となるが同9日警察の調停により嘆願書撤回・職工60人解雇などで終結した(合同紡神崎工場争議)。
- 5月 - 加島銀行尼崎支店が野村銀行に10日引き継がれ、13日に同行尼崎支店として開業した。
- 6月20日 - 政治的自由獲得同盟(政獲同盟)摂陽支部が結成された。これと前後して、日本労働組合全国協議会傘下の摂陽合同労働組合が結成された。
- 9月 - 都市計画兵庫地方委員会がこの年7月に決定した尼崎都市計画区域における街路計画が、国により認可された。
- 11月22日 - 近松門左衛門の命日に郷土趣味大阪人社が広済寺研究旅行を催し、50人が参加した。
- 11月29日 - 労働組合全国同盟尼崎連合会が結成され、総同盟尼崎連合会が1926年の組合同盟結成に続いてさらに分裂した。