1931年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1910年代 1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 |
周辺の年: | 1928年 1929年 1930年 1931年 1932年 1933年 1934年 |
昭和6年
- 1月 - 乾鉄線が日本鉄線鋼索と改称した。
- 2月7日 - 都市計画兵庫地方委員会が、尼崎都市計画区域における用途地域区分を決定した。
- 2月8日 - 大日本紡績尼崎工場で組合加入を勧誘した女工ら3人が解雇され長期争議となった(日紡尼崎工場争議)。
- 3月6日 - 大日本紡績尼崎工場の労働争議が、争議団130人解雇と解雇手当支給の条件で妥結した(日紡尼崎工場争議)。
- 3月10日 - 大阪合同紡績が東洋紡績と合併した。
- 3月11日 - 武川ゴムで請負単価の値下げを発端とする労働争議が始まった(武川ゴム争議)。
- 3月20日 - 阪神消費組合が朝鮮人労働者によって設立され、築地に本部が置かれた。
- 3月
- 富永商店は杭瀬に移転した尼崎工場の操業を開始した。
- 摂陽合同労働組合を母体として日本労働組合全国協議会阪神地区支部が組織された。
- 4月1日 - 武川ゴム争議がストに突入し、争議団は寺院などに籠城した。
- 4月14日 - 武川ゴム争議の争議団員が阪神出屋敷駅で武川社長に硫酸入りのビンを投げつける事件が起こった。
- 4月21日 - 尼崎・杭瀬・キング・パレスの4ダンスホールで、歩合引下げに反対してダンサーらがストライキを決議した(スト突入は見合わせ)(ダンスホール争議)。
- 5月1日
- 6月25日 - 阪本勝が『戯曲資本論』を発表した。
- 7月28日 - 関西共同火力発電が日本電力・宇治川電気などの共同出資により設立された。
- 8月1日 - 大庄村長に野草平兵衛が就任した。
- 8月1日 - 藤岡文六・山下栄二らの組織する大衆保健組合経営の大衆診療所が開業した。
- 8月26日 - 兵庫県その他関西地方の共産党員が一斉検挙された。
- 9月3日 - 2月の都市計画兵庫地方委員会の決定にもとづいて、尼崎都市計画区域の商業・工業・住居の各用途地域区分が指定された。
- 11月3日 - 尼崎市が初の市史として企画した『尼崎志』の第二篇(神社・教会編)を刊行した。
- 11月17日 - 大阪曹達が大高洲町に新設した尼崎工場の第1期工事が竣工した。
- 11月
- 全農全国会議兵庫県連合会生津支部が組織された。
- この前後、生津で旱害と虫害を理由に小作料軽減を要求する小作争議が起こった(生津小作争議)。
- 12月12日 - 同月9日以来争議中の東洋紡神崎工場の煙突に全労の組合員が登り、東洋紡と富士製紙の争議支援たれ幕を下げた。滞空は75時間であった。