1932年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1910年代 1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 |
周辺の年: | 1929年 1930年 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年 |
昭和7年
- 2月1日 - 尼崎市方面委員会経営の尼崎養老院が東難波の市営住宅を利用して開設された。
- 2月2日 - 尼崎市長に桜井忠剛が就任した(再任)。
- 3月28日 - 尼崎製鋼所の創立総会が大阪市西区において開催された。
- 3月31日 - 日本エレベーター争議を応援する煙突男が、大阪医科大学病院の煙突にこの日から3日間登った。
- 4月 - 中在家町が町有財産を基金として町民診療事業を開始した。
- 5月2日 - 尼崎市公益質舗が南城内に開設された。
- 5月8日 - 全国労農大衆党尼崎支部長藤岡文六が脱党声明を発表した。
- 5月12日 - 全労阪神地方連合会執行委員会は国家社会主義運動に反対する旨の声明書を発表した。
- 5月31日 - 尼崎市会議員選挙が実施された。
- 6月25日 - 尼崎築港は埋立地開発のため乗合自動車の営業を開始した。
- 7月21日 - 尼崎市会に設けられた隣接町村合併促進調査委員会の第一回が開催された。
- 8月27日 - ダンスパレスで7人の解雇取消を要求して争議となった。
- 9月5日 - 兵庫県満蒙事変犒軍会尼崎市部会が設置され基金・慰問品を募集した。
- 9月 - 社会民衆党と全国労農大衆党の尼崎の組織が合同し、社会大衆党尼崎支部を結成した。
- 10月30日 - 小田村は村誌『小田村勢』を刊行した。
- 10月 - 尼崎製鋼所が中浜新田に設けた新設工場が10月中旬に竣工した。
- 11月18日 - 阪神国道自動車が宝塚尼崎電気鉄道を合併した。
- 12月25日 - 阪神国道自動車が経営する西大島-宝塚間自動車専用道路(現兵庫県道42号尼崎宝塚線、通称「尼宝線」)が開通した。