1934年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1910年代 1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 |
周辺の年: | 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 |
昭和9年
- 2月11日 - 立花第二尋常小学校が、立花尋常高等小学校(現市立立花小学校)から分離して塚口に設置された(現市立塚口小学校)。
- 2月26日 - 立花尋常高等小学校(現市立立花小学校)が立花第一尋常高等小学校と改称した。
- 3月24日 - 立花村長に守田欽治が就任した。
- 3月 - 富永商店が富永鋼業と改称した。
- 4月20日 - 宝塚有馬自動車が運行するバス路線尼崎線が産業道路経由(伊丹本町-塚口-国道玉江橋間)に変更された。
- 4月
- 6月26日 - 尼崎市会は尼崎港内埋立地への日本石油の石油タンク設置反対意見書を知事に提出した。
- 7月20日 - 東海道本線立花駅が開設された。
- 8月 - 東京ロール製作所尼崎工場が西高洲町に開設された。
- 9月1日 - 大阪市が地盤沈下測量のための水準点を各所に設置した。
- 9月15日 - 阪神乗合自動車が出願した市内乗合自動車営業に関して尼崎市は同社と契約をかわした。
- 9月21日 - 室戸台風により尼崎市の三分の二が高潮のため浸水し、大庄村では丸島・又兵衛大浜の全集落が流失した。校舎の倒壊により尼崎・大庄両尋常高等小学校と小田第一尋常小学校で教員1人、児童23人が死亡するなど市域全体で146人の死者・行方不明者が出た。
- 9月 - 尼崎市商店連盟は阪神電鉄の市内バス東本町通商店街通行計画について尼崎市に反対の陳情をした。
- 10月30日 - 阪神間の沿岸市町村長・市会議長らが西宮市役所に集まり阪神間大防波堤構築期成同盟会を結成した。
- 11月16日 - 立花村長に三松武次郎が就任した。
- 11月18日 - 日本労働組合総評議会と全労統一全国会議が合流して日本労働組合全国評議会(全評)が結成され、尼崎地域からは常光寺に本部を置く阪神一般化学労働組合が加わった。
- 11月 - 塚口で阪急電鉄による住宅地開発のための土地返還に反対して小作争議が起こった。
- 12月28日 - 塚口の郡是製糸塚口絹製品工場がフルファッション婦人絹靴下の生産を開始した(同社社史による、ただし「10月」と記述している個所もある)。
- 12月
- 尼崎市と大庄村の台風被害地域を対象とする災害復興都市計画事業が兵庫県会で議決された。
- 日本労働組合全国評議会阪神地方評議会が設立され本部を常光寺に置いた。