1940年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 |
周辺の年: | 1937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年 1943年 |
昭和15年
- 1月1日 - 市主催の「紀元2600年記念新年祝賀会」で尼崎市歌が披露された。
- 1月25日 - 尼崎都市計画事業省線以南土地区画整理の事業計画が認可された(省線以南土地区画整理事業)。
- 2月11日 - 浜尋常小学校が、下坂部尋常小学校・杭瀬尋常小学校から分離して設置された(現市立浜小学校の前身)。
- 3月3日 - 『神戸詩人』事件で長洲在住の詩人浜名與志春が検挙された。
- 3月28日 - 大庄村内の10工場が、尼崎市と大庄村の合併を市と村に陳情した。
- 3月 - 田中車輛が尼崎工場の設備を徳庵工場に移転した。
- 4月 - 神東塗料が尾浜に工場を設立し本社を神戸から移した。
- 5月3日 - 尼崎市会議員選挙が実施された。
- 5月 - このころ、武庫・大庄・瓦木・鳴尾の4か村が合併して市制を施行し、新市の名称を「武庫川市」とする構想が公表された(武庫川市構想)。
- 6月3日 - 尼崎市長に桜井忠剛が就任した(再任)。
- 6月8日 - 立花村長に松谷庄蔵が就任した。
- 9月5日 - 7月7日に施行された奢侈品等製造販売制限規則(7.7禁令)により失職したろうあ者11人(京都西陣織の染色・織り物などに従事していた職人たち)が、京都職業紹介所の仲介により長洲の尼崎精工に雇用され、高射砲弾信管製造などの軍需生産に携わることになった。こののち1945年6月15日の空襲により同工場が罹災し生産がストップするまでの間に、100人以上のろうあ労働者が同社に雇用され、全国屈指の規模のろうあ労働者雇用事業所となった。
- 9月11日 - 尼崎市は尼崎市会市村合併調査特別委員会を開催し、同日大庄村・立花村・武庫村に対して正式に合併を申し入れた。
- 9月15日 - 住友化工材工業の塚口工場が開業式を行なった。
- 9月 - 虫印バルブ製造(現東亜バルブ)立花工場が水堂字鳥林(現西立花町5丁目)に新設された。
- 10月 - 久保田鉄工所が大庄村又兵衛新田(現尼崎市大浜町2丁目)に新設した武庫川工場のうち第一機械工場が最初に完成し、稼働を開始した。
- 11月10日
- 12月1日 - 三菱電機神戸製作所大阪工場が南清水(現尼崎市塚口本町8丁目)に設立された。
- 12月5日 - 市は全国的な米の減収に対する応急策として家庭用飯米の登録配給制を実施した。
- 12月8日 - 尼崎商工共和会を解消して尼崎商工会議所を創設することとなり、創立総会が開催された。
- 12月17日 - 尼崎商工会議所の設立が認可された。
- 12月 - 日本エレベーター製造・共成工業などが合併し、日立工事会社が設立された。