1942年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 |
周辺の年: | 1939年 1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年 |
昭和17年
- 1月31日 - 立花国民学校内の保護者会運営幼稚園と、私立塚口ときは幼稚園が立花村に移管され、現尼崎市域初の公立幼稚園(立花第一・第二幼稚園、尼崎市と合併後は市立立花幼稚園・塚口幼稚園)となった。
- 2月11日
- 尼崎市と大庄村・武庫村・立花村が合併した(大庄・立花・武庫村の合併)。
- 大庄第一・第二・第三国民学校は大庄・西・大島各国民学校に、立花第一・第二国民学校は立花・塚口各国民学校に改称された。
- 3月6日 - 大庄・立花・武庫村の合併にともなう尼崎市会議員増員選挙が実施された。
- 3月18日 - 大日本婦人会尼崎支部が結成された。
- 3月20日 - 東亜セメントが浅野セメントに合併され、同3月26日には日本セメントが浅野セメントに合併した。
- 4月1日
- 4月8日 - 『尼崎市公報』が『尼崎市民時報』と改題された。
- 4月20日 - 浜字山ノ下(現常光寺1丁目)の市立尼崎病院(伝染病院)を増築し、内科・外科など各診療科目を備える市立市民病院が開院し、合わせて同施設に大阪帝国大学臨時附属医学専門部臨床教室が開設された。
- 4月21日 - 尼崎市方面委員会が、人口増大や傷痍軍人・開拓民の結婚斡旋といった国策的見地から西本町二丁目の本町倶楽部内に結婚相談所を開設した。
- 5月9日 - 阪神上水道から尼崎市域への給水が開始された。
- 5月 - 尼崎市政史の編纂が開始された。
- 6月30日 - 尼崎市との合併を前に調査編さんした『大庄村誌』を、大庄村教育調査会が刊行した。
- 8月27日 - 兵庫県は尼崎市内土地沈下調査会を設け、規定を制定した。
- 11月5日 - 尼崎製鉄に「官斡旋移入」朝鮮人労働者の第一陣として100人が到着した(朝鮮人強制連行)。
- 12月5日 - 「大東亜戦争一周年記念行事」として、尼崎市は陸軍省派遣の中佐を講師とする500人参加の講演会を尼崎高等女学校において、また市部課長出席の記念座談会を市役所において開催した。
- 12月6日
- 「大東亜戦争一周年記念行事」として、尼崎市は大蔵省嘱託を講師とする600人参加の町内会活動促進講習会を立花出張所において開催した。
- 南城内の映画館・桜井座が放火により全焼した。
- 12月8日 - 「大東亜戦争一周年記念行事」として、尼崎市は大蔵省嘱託を講師とする500人参加の町内会活動促進講習会及び国民志気昂揚音楽大会を尼崎国民学校において開催した。