1944年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:19世紀 - 20世紀 - 21世紀
年表 10年紀:1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代
周辺の年:1941年 1942年 1943年 1944年 1945年 1946年 1947年

昭和19年

  • 1月1日 - 三菱電機大阪製作所が伊丹製作所と改称した。
  • 1月11日 - 尼崎市は「尼崎市屎尿汲取及運搬手数料条例」を公布・施行し、屎尿〔しにょう〕の収集・処分を市営化した。
  • 2月 - 尼崎市は市役所内に疎開相談所を設け、防衛部警防課を中心として本格的な疎開事務を開始した。
  • 3月3日 - 尼崎市役所は戦時の措置として日曜休日を廃止した。
  • 4月1日 - 私立中外商業学校工業学校に改編された(1946年4月1日商業学校に再改編)。
  • 4月10日 - 尼崎市立立花眼科診療所が開設された。
  • 5月 - 尼崎市内の中等学校学徒動員壮行式が尼崎中学校で行なわれ、これ以降市内軍需工場・官庁等への動員が恒常化した(学徒勤労動員)。
  • 6月15日 - 大谷重工尼崎工場の朝鮮人グループ7人(協和訓練隊特別青年会のメンバー)が民族独立運動を組織したとして、治安維持法違犯容疑により検挙された。
  • 7月7日 - 尼崎市は国民總蹶起運動兵庫県本部との共催により、尼崎高等女学校において戦意高揚のための国民總蹶起運動大講演会を開催した。
  • 8月1日 - 尼崎税務署が東本町の元大日本紡績日章寮に開設された。
  • 8月23日
    • この日の城内・杭瀬両国民学校児童の疎開を皮切りに、10月にかけて尼崎市の第1次集団疎開が実施され、児童3,914人が兵庫県川辺郡・有馬郡・多紀郡・氷上郡・多可郡の各所に疎開した。
    • 学徒勤労令が公布された。これにより中等学校生徒に加えて国民学校高等科児童の軍需工場などへの動員が始まった(学徒勤労動員)。
  • 9月17日 - 台風による高潮のため尼崎市内で1万100余戸が浸水した。
  • 10月10日 - この日までに都市疎開事業による疎開人口は2万7,000人余り、建物疎開による空地は7万170坪にのぼった(疎開)。
  • 11月1日 - 日本板硝子尼崎工場住友化工材工業に譲渡された。
  • 11月6日 - 尼崎市は、尼崎高等女学校において一億憤激米英撃摧尼崎市町内会長大会を開催した。
  • 11月15日 - 東海道線西ノ宮-阪神海岸線東浜間を結ぶ阪神電鉄武庫川線のうち武庫川以西が開通した。
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