1949年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 |
周辺の年: | 1946年 1947年 1948年 1949年 1950年 1951年 1952年 |
昭和24年
- 1月1日 - 国鉄神崎駅が尼崎駅、尼崎駅が尼崎港駅と改称した。
- 2月9日 - 警察・税務署・検察庁が合同で武庫地区で酒密造を行なう集落を急襲し、朝鮮人ら118人を検挙した。
- 2月21日 - 尼崎郵便局から電信課が分離して尼崎電信局となり、昭和通2丁目(尼崎郵便局と同じ場所)に開設された(電信・電話)。
- 4月1日
- 市立小田北中学校が市立小田中学校から分離して設置された。これにともない市立小田中学校が市立小田南中学校と改称した。
- 市立大庄西中学校が市立大庄中学校から分離して設置された。これにともない市立大庄中学校が市立大庄東中学校と改称した。
- 市立城内高等学校(女子校)と市立琴城商業高等学校(男子校)を統合して、校舎を市立尼崎高等学校と共用する定時制・男女共学の市立城内高等学校が設置された。
- 4月16日 - 日本スピンドル製造が日本内燃機より分離再発足した。
- 5月24日 - 尼崎市公安条例と労働組合法改悪に反対する産別尼崎地区会議主催の人民大会が阪神尼崎駅前で開かれ、約5千人が参加したと報じられた。
- 6月5日 - 塚口住宅地の会館「ときわ公会堂」を礼拝場として、日本基督教団傘下の塚口教会が設立された。
- 6月27日 - 市立城北中学校(竹谷中学校が5月26日改称)が市立昭和中学校と改称した。
- 6月 - 戦争未亡人の母子福祉事業を行なう尼崎市連合婦人共励協議会が結成された。
- 8月19日 - 尼崎地区全労働組合協議会が結成された。
- 10月10日 - 尼崎自由労働組合が結成された。
- 10月19日 - 朝鮮人学校に対して法令にもとづき二週間以内に改組するよう兵庫県から命令が出され、11月5日には閉鎖命令が出された。これに反対する朝鮮人父兄代表と元教員らが命令の即時撤回、朝鮮人教員の全員採用を尼崎市に連日陳情した。
- 10月20日 - 日本共産党員とその同調者とみなされた教員がレッド・パージの対象となり、兵庫県教育委員会が尼崎市内学校の教員4人を含む25人に対して退職を勧告した。こののち1951年にかけて、市内17職場の計171人がレッド・パージの対象となった。
- 11月 - 鶴町の中山製鋼所尼崎工場が同社から分離され、尼崎製鈑として発足した。
- 12月21日 - 市は尼崎市警察基本条例を公布した。
- 12月24日 - 朝鮮人学童を受入れるための分校の第1校目として、武庫小学校守部分校が開設された(朝鮮人学校)。