1969年

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:19世紀 - 20世紀 - 21世紀
年表 10年紀:1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代
周辺の年:1966年 1967年 1968年 1969年 1970年 1971年 1972年

昭和44年

  • 3月7日 - 国鉄水堂踏切の立体化工事が、付近住民の反対のなか、警官による警備のもと着工された。
  • 3月27日 - 春の選抜高等学校野球大会(甲子園)初出場となる兵庫県立尼崎西高等学校野球部が第41回大会の1回戦に出場し、富山県立富山北部高等学校を1対0のスコアで下した。
  • 3月31日 - 『尼崎の戦後史』が発行された。
  • 3月
    • 尼崎港・西宮港・芦屋港を統合して、重要港湾尼崎・西宮・芦屋港が設置された。
    • 東海岸町に建設された尼崎油脂団地が竣工した。
  • 4月1日
    • 尼崎・西宮両市間で、平左衛門町を西宮市から尼崎市に移管し、田近野を尼崎市から西宮市に移管する境界変更が行なわれた。
    • 尼崎市衛生局公害課が公害対策室に昇格した。
  • 4月2日 - 春の選抜高等学校野球大会(甲子園)初出場となる兵庫県立尼崎西高等学校野球部が第41回大会の2回戦に出場し、香川県立丸亀商業高等学校を4対3のスコアで下した。
  • 4月4日 - 春の選抜高等学校野球大会(甲子園)初出場となる兵庫県立尼崎西高等学校野球部が第41回大会の準々決勝に出場し、私立三重高等学校に4対3のスコアで敗れた。
  • 4月16日 - あこや学園が西宮市田近野町に新築移転した。
  • 5月 - 『尼崎の戦後史』中、1969年時点の現職市議会議員の過去の行動に関する記述をめぐって市が同書の配布を停止し、一部配布済みのものを回収した(『尼崎の戦後史』問題)。この後紛糾したが、翌1970年3月に無修正のまま配布を再開した。
  • 6月1日 - 中消防署が中央卸売場跡の庁舎に移転し業務を開始した。
  • 6月2日 - 尼崎市はそれまでの市内ごみ週2回定時収集を1回増やし、阪神間の自治体初となる週3回定時各戸ごみ収集を開始した。
  • 6月24日 - 尼崎市長と山陽新幹線工事局長とが新幹線建設にともなう公害対策・補償などについての覚書に調印した(山陽新幹線)。
  • 6月28日 - 神崎川浄化対策事業を実施する通産省と兵庫県は、同川水系県側沿岸3市1町の569企業の代表者に水質基準を説明した。
  • 6月30日
    • 田能遺跡が国指定史跡に指定された。
    • 尼崎地域大気汚染防止協定(第1次協定)が兵庫県・尼崎市・企業23社(27工場)の間に締結された(2回に分けて締結された第1次公害防止協定のうちの第1回分にあたる)。
  • 7月12日 - 尼崎市域で山陽新幹線の測量工事が始まった。
  • 8月27日 - 尼崎市の委託を受け、尼崎市医師会の開業医360人が公害病患者の実態把握のため市民健康調査を実施した。
  • 8月 - 東海岸町に建設された尼崎鉄工団地が竣工した。
  • 9月24日 - 尼崎地域大気汚染防止協定(第2次協定)が兵庫県・尼崎市・企業39社(42工場)・3企業団地(55社55工場)の間に締結された(2回に分けて締結された第1次公害防止協定のうちの第2回分にあたる)。
  • 10月4日 - 杭瀬地区公害対策市民の会が結成された。
  • 10月6日 - 尼崎市は「尼崎市都市計画審議会条例」を公布・施行した。これにより、都市計画の策定・立案が学識経験者・市議会議員などからなる審議会の審議にゆだねられることになった。
  • 11月10日 - 大庄公民館が元大庄支所(旧大庄村役場)の建物内に設置された。
  • 11月 - 難波四条通(現西難波町6丁目)の市立公民館が市立中央公民館と改称した。
  • 12月15日
  • 12月
    • 東海岸町に建設された尼崎金属工業団地が竣工した。
    • 尼崎市政に関する調査・研究を目的とし、学識経験者や社会党所属の市議会議員、労働組合関係者などを役員とする尼崎市政調査会が発足した。
  • この年
    • 猪名川改修工事の一環として、椎堂と対岸の豊中市利倉〔とくら〕の間の蛇行部分を直線とする利倉捷水路計画の工事が完成した。
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