1973年
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 |
周辺の年: | 1970年 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 1976年 |
昭和48年
- 2月17日 - 尼崎市は中高層建築物の日照妨害等に関する指導要綱を決めた。
- 3月30日 - 県立小田高等学校が市立小田南中学校内の仮校舎から長洲中通二丁目の大日繊維工業跡に建設された新校舎に移転した。
- 3月31日 - 尼崎市は「尼崎市民の環境をまもる条例」と「尼崎市公害病認定患者の救済に関する条例」を公布した。
- 3月 - 部落解放同盟神崎支部が結成された。次いで5月に上ノ島、8月に塚口、9月に水堂・守部、11月に東今北と市内の各支部が結成された(部落解放同盟尼崎市連絡協議会)。
- 4月1日 - 市立園田北小学校が市立園田小学校から分離して設置された。
- 4月6日 - 大企業の買占め・物価値上げ反対大会が阪神地区商業者連絡協議会、連合婦人会、消費者協会連合会の共催で開かれた。
- 4月22日 - 森永ミルク中毒のこどもを守る会尼崎支部が森永製品不買運動総決起集会を開いた。
- 5月1日 - 統一メーデーが7年ぶりに復活し、参加者は5万人を数えた。
- 5月12日 - 神戸地方裁判所尼崎支部は、阪神高速道路大阪西宮線工事差し止めの住民側請求を却下した(国道43号線道路公害訴訟)。
- 5月26日 - 神戸地方裁判所尼崎支部の阪神高速道路大阪西宮線工事差し止め請求却下に対して、住民側は大阪高等裁判所に抗告した(国道43号線道路公害訴訟)。
- 6月27日 - 差別発言をめぐる殺人事件「尼崎事件」の第1回公判が神戸地裁尼崎支部で開かれた。
- 6月29日 - 尼崎から公害をなくす市民連絡会など公害反対運動に取り組む市内16団体が、尼崎市に対して「公害に対する統一要求書」を提出した(1974年以降は「公害なくせ!尼崎市民集会」統一要求書として昭和62年度まで毎年提出)。
- 8月22日 - 大日繊維工業跡地に建設されすでに学校施設が移転済みであった県立小田高等学校の新校舎が竣工した。
- 10月3日 - 市内出土遺物の保管をはじめ文化財保護の事業を担う施設として、尼崎市立文化財収蔵庫が立花小学校の敷地内に設置された。
- 11月2日 - 中東の石油危機により紙の生産が止まりトイレットペーパーがなくなるという風聞が流れたため、各地でトイレットペーパーの買い付け騒ぎが起こり、灘神戸生活協同組合園田店では主婦ら200人が殺到し、重傷者が出た。
- 12月18日 - 尼崎市は物価高騰に対処して生活防衛対策本部を設置した。
- 12月 - 部落解放同盟尼崎連絡会が結成された。
- この年 - 神戸製鋼尼崎製鉄所が連続鋳造設備を設置した。