3.15事件
さんいちごじけん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
田中義一政友会内閣のもとで政局安定の一助として、1928年(昭和3)3月15日を中心にして共産党員が治安維持法違反容疑で大量に検挙・起訴された事件。尼崎地方では前労働農民党摂陽支部長の近内金光、関西合同労働組合執行委員長の浅井富次郎ら両組織の共産党員が連座した。同年2月20日の衆院選の近内の得票の未組織票にとどまり、一般市民の支持は大きくなかった。2月末から3月半ばにかけて、関西合同労組常任執行委員上森四郎・労働農民党摂陽支部書記沖田伊佐治・同支部員多田宇一郎・京都大学学生葛野友太郎は共産党尼崎工場細胞準備委員会を構成し、組織方針として関西合同労組におけるレフト(共産党員・同調者からなる非合法組織)の活動から久保田鉄工所・乾鉄線両工場を目標に党細胞結成へ転換したが、着手と同時に検挙で挫折した。3月18日の総同盟久保田鉄工所支部賃下げ反対大会を狙って工場新聞も発行したが、乾鉄線向けの工場新聞は発行されないままとなった。