現代編第3節/石油危機から震災まで1/転換期を迎える尼崎の経済(辻川敦)




製造業の構造転換

 昭和30年代以降、高度経済成長を続けた日本経済は、ドル・ショック(昭和46年・1971)と石油危機(同48年)を境に大きな構造転換を迫られます。とりわけ、基本的に輸出依存型である日本の製造業は、石油価格高騰〔こうとう〕や円の為替〔かわせ〕レート切り上げ、さらにはアジアの後発工業国の追い上げといった事態を設備投資と合理化、生産拠点再配置などの事業再構築によって乗り切っていくこととなります。
 こういった事態は、高度成長前半期にピークを迎え、半ば以降停滞傾向にあった尼崎の製造業にとって、より一層厳しいものでした。下の図は、尼崎の製造業におけるこの時期のおもな変化を示したものです。市域の9か所に工業団地が新たに設置されている一方で、鉄鋼各社や関西電力の発電所など、尼崎の工業を代表する大規模工場の縮小・廃止や転出といった動向が顕著であることがわかります。
 図に続いて示した、事業所数等のグラフからも、停滞から縮小へと向かう、この期の製造業の様子を見て取ることができます。おおむね平成2年(1990)頃までは事業所数は横ばいであり、従業員数を減らしつつ出荷額は増大しています(この傾向は、出荷額を国内卸売物価指数で補正しても変わりません)。しかしながら、1990年代に入ってバブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災を経て長期不況に入ると、尼崎の製造業は事業所数や製造品出荷額も含めて、すべての指標において低下していることがわかります。

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1970年代半ば以降の尼崎における製造業分野のおもな変化


 工業団地 工場適地に住宅地隣接の中小工場を移転・集積させることで、住工混在の解消、住宅環境の改善、時代にマッチした新たな製造業の育成などを意図したもの。昭和44年以降、国の公害防止事業団や中小企業復興事業団の融資などを活用して、市が建設を推進した。


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「基礎資材型」中心の尼崎

 その背景には、戦前来の重化学工業都市である、尼崎特有の業種構成がありました。前掲のグラフを見てもわかるように、1980年代までの尼崎の製造業に大きなウェートを占めたのは、鉄鋼業をはじめとする旧来の基礎資材型の分野でした。しかし、高度成長期後半にすでに停滞傾向にあったこれらの業種は、生産設備の老朽〔ろうきゅう〕化や敷地の狭あい化などから、企業内における尼崎の工場の位置付けが高度成長期に引き続いて相対的に低下するなど、縮小・廃止傾向が強まります。
 これにより、尼崎の製造業に占める鉄鋼・金属など基礎資材型分野の比率は低下し、かわって機械工業の比率が大幅に増大します。しかしながら尼崎においては、日本の製造業全体において石油危機後の構造転換を主導したところの、自動車・家電といった加工組立型産業の集積が乏しく、尼崎の製造業全体としては衰退していく結果となりました。



 尼崎の戦後をとり続けた写真家・故片岡敏男氏が、昭和57年に撮影した神戸製鋼尼崎製鉄所の第一高炉(向かって右)と第二高炉。
 尼崎の鉄鋼業を象徴する存在でしたが、昭和62年に完全に操業を停止し、のちに撤去されていまは跡形もありません。

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工場立地の困難性

 構造転換の遅れに加えて、都市化の高度な進展にともなう工場操業環境の悪化という新たな問題点も深刻化し、そのことがさらに工場立地の困難さを増す要因となりました。それはまず第一に、工場用地としては地価水準が高く、さらにまとまった面積の事業適地が乏しいため、工場新設はもとより設備老朽化にともなう建て替えにおいても用地確保が困難という問題。第二に、大阪・神戸に近いという地理的優位性ゆえに工場跡地へのマンション等住宅開発が相次ぎ、住工混在による工場と住民の間のトラブルも増加したこと。さらには工場等制限法などによる立地規制、といった諸点があげられます。
 かつては一大発電基地であった尼崎臨海部の発電所群がすべて姿を消したことも、この期の尼崎における工場立地をめぐる動向を象徴するできごとでした。関西電力が各地に発電所を新設し、さらに火力から原子力へと比重を移すなか、尼崎の発電所群は徐々に老朽化し、予備発電所へと役割を変えていきます。第一・第二発電所に対しては、大気汚染源として兵庫県と尼崎市から廃止要望が出されていたこともあり、結局市域の4発電所すべてが、姿を消すこととなりました。

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商業・農業の動向

 次に商業・農業の分野では、石油危機以降どのような変化があったのでしょうか。
 まず下のグラフを見ると、卸売業と小売業で違いがあるものの、おおむね1990年代半ば頃までは、商業の販売額が伸びていることがわかります。ただし1980年代以降は、販売額や従業員数の伸びに対して事業所数は横ばいないし減少しており、事業所の規模が大きくなっていく傾向が読み取れます。法人・個人の比率も、一貫して法人が増大していることから、小規模商業者の淘汰〔とうた〕がすすんだものと考えられます。
 本節4「開発と都市の変貌」にくわしくふれるように、1970年代後半以降市内各所で再開発がすすみ、塚口さんさんタウン(昭和53年)やつかしん(同60年)といった、新たな大規模商業施設が開設される一方で、旧来の商店街や市場などの小規模店舗は苦戦を強いられていくこととなりました。
 こうした実情を背景に、1990年代半ば以降の長期不況下に入ると、製造業と同じく、商業もまたすべての指標において低下縮小傾向に陥ります。その一方で、平成8年には尼崎中央・三和〔さんわ〕・出屋敷まちづくり(株)が設立されるなど、まちづくりという視点から商店街の活性化をめざす取り組みが見られるようになりました。平成10年に中心市街地活性化法が制定されて以降は、商業における自助努力と自然淘汰の明暗がさらにわかれる、より一層厳しい時代を迎えます。
 農業の分野では、高度成長期以来の農業人口と耕地の縮小がさらにすすみました。市域の都市化の進展に加えて、農地の宅地並み課税や生産緑地法の改正、日米貿易摩擦に起因する農産物輸入の自由化など、日本農業をめぐる厳しい状況が追い打ちをかけました。
 そんな流れが加速するなか、昭和58年4月、市は農地保全・緑化推進を謳〔うた〕って、田能〔たの〕に農業公園を開設しました。都市に残された自然空間として農地を再評価する、そんな時代を先取りする施策でした。

 農地の宅地並み課税・生産緑地法 都市部の農地を対象とする宅地並み課税は、過密化する都市への宅地供給を目的として昭和48年以降実施されますが、当初は課税と引換えの還元補助金支給や長期営農継続農地の課税除外などにより徹底されませんでした。平成3年の改正生産緑地法は、営農30年継続など厳しい義務付けを規定。これにより「宅地化する農地」を選択する農家が多く、都市部の農地減少に拍車がかかりました。





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都市部での農業

 都市化がすすむなか、商業地や宅地に囲まれてわずかに残る農地での、農作業の様子。(平成3年撮影、旧生津〔なまづ〕村・福田皖行〔きよゆき〕さん提供写真より)


 昭和50年代には稲刈りと脱穀〔だっこく〕を同時に行なうコンバインが普及しますが、市域ではすでに、これを使用するほどの規模で米を作る農家はわずかでした。
 福田さんが平成3年当時耕作していた、阪急武庫之荘駅にほど近い南武庫之荘1丁目の田んぼでの、農作業の様子です。すぐ横に道路やマンション、商業施設が迫っているのがわかります。


 福田さんによれば、生津では昭和53年にコンバインを共同購入していますが、上の写真では手作業で稲刈りを行なっています。下の写真は、脱穀したもみを自宅の庭で「かど干し」している様子。機械化しても、このように手間のかかる手作業が残ります。
  街なかの田んぼは日陰ができ、雑草が生えやすく、また道路沿いで地価が高い分税金もかかります。結局福田さんは、この年を最後に、この田んぼでの耕作をやめました。

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尼崎の伝統産業

 製造業が頭打ちとなる一方で、息長く続く伝統産業もあります。

菰づくり

 樽を保護するためむしろで巻き、銘柄の印を刷り込む菰づくりは、近世の西摂地域において酒造りが盛んであったことから、尼崎地域の村々の農間余業として発達しました。市内の事業所数は徐々に減少し、阪神・淡路大震災後はわずか2軒となりますが、塚口で生産される酒樽用の菰は、いまなお全国有数のシェアを誇っています。
 菰づくりは、その工程の多くが手作業で行なわれます。四斗樽の菰は、米の品種のなかでも背が高い山田錦の藁〔わら〕を材料に使うのが普通ですが、水濡れに強い合成樹脂(ポリプロピレン)を使う場合もあります。
 菰は契約農家が半自動織機で織り、工場ではまず印刷の下地となる白塗りを行ないます。商標は、いったん転写紙にスクリーン印刷したものを、熱でプレスして印刷します。かつては焼印で入れていた社名や宣伝文句は、現在ではゴム印を使って押しています。
 酒樽に菰を巻く菰巻きは、荷造り職人(荷師)による熟練の技で行なわれます。見事な手さばきにより、約15分で一丁の菰樽が完成します。



(いずれも平成16年11月13日、塚口本町の岸本吉二商店にて撮影)

生揚醤油

 一時期すたれながら復活したのが、「尼の生揚醤油」です。近世後期以降、城下の大物〔だいもつ〕町を中心に盛んに醸造されましたが、第二次大戦期の原料統制により、いったん生産が途切れます。
 その生揚醤油が、醸造技術者であった故川田正夫氏をはじめ関係者の尽力のもと、「尼の生揚醤油保存会」の手により復活したのが昭和60年のこと。アルコール含有度が高く香味豊かな生揚醤油は、ふたたび尼崎の名産品となりました。


生揚醤油

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