近世編第1節/幕藩体制の成立と尼崎3コラム/尼崎藩の参勤交代(岩城卓二)
参勤交代の始まりと目的
大名が領地と江戸を行き来し、一定期間江戸に詰める参勤交代は、関ヶ原の戦いと、それに続く大坂の陣による豊臣家の滅亡後、とくに外様大名を中心に広まっていきました。目的は江戸に出かけ、将軍に拝謁〔はいえつ〕し、徳川家への臣従を示すことでした。
この参勤交代は、寛永12年(1635)の武家諸法度によって制度化されました。4月交代が定められ、西国大名が参府すると、東国大名が帰国し、翌年に東国大名がやって来ると、今度は西国大名が帰るという形式が確立されます。当初、交代は西国と東国という組み合わせで、また譜代〔ふだい〕大名は江戸詰めが原則でした。
譜代大名の参勤交代制度が確立するのは寛永19年のことです。さらに西国大名と東国大名との交代制から、各地において適宜大名が組み合わされる制度へと変更されました。これは寛永14年の島原の乱のとき、九州に在国していたのが病気で参勤免除となっていた島津家だけだったため、軍事力が手薄で乱の鎮圧に時間を要したからだと言われています。また、要地の大名は参勤交代が組み合わされていました。大坂城守衛という重要な軍事的役割を担う尼崎藩と岸和田藩の組み合わせはその代表で、尼崎藩主在国中は岸和田藩主が江戸におり、翌年はその反対となりました。
人数と費用
寛永12年には、参勤交代の人数削減も命じられました。しかし、人数は大名家の格を示すものであったので、近世初頭には大行列が組まれました。百万石の加賀藩前田家では、4千人にも及んだと言われます。鹿児島藩70万石の島津家も、17世紀には3千人を越える大行列のこともありましたが、18世紀には千人を下回っています。家格の誇示も次第に経済的困窮〔こんきゅう〕には勝てなくなったようです。10万石の大名行列は280人程度、1万石だと37人という17世紀初頭の記録も残されています。150〜300人程度の行列がもっとも多かったようです。
参勤交代は幕府が大名の経済力を弱体化させるために行なったと言われることがありますが、それは結果論に過ぎません。参勤交代とは大名の幕府に対する服属儀礼であり、藩財政に占める参勤交代費用は、実はそれほど大きくはありませんでした。しかし、江戸屋敷の経費が藩財政を圧迫させたことは間違いなく、大名が一定期間、江戸で暮らさなければならないことは大きな負担となりました。
尼崎藩の参勤交代
尼崎藩の参勤交代についての史料はあまり残されていません。寛政6年(1794)の松平忠告〔ただつぐ〕の参勤交代を取りあげてみましょう。
この頃、尼崎藩は6〜8月頃参府していたようで、寛政6年は船で神崎川から淀川に入り、伏見に至ります。そして東海道五十三次の宿駅大津に到着後は、東海道を江戸に向かっています。尼崎ー大津間がよくわかりませんが、もし一泊していれば、尼崎から江戸まで127里(1里=36丁=約3.93km)を14泊ということになります。家臣の道中記録によると、朝の出発からおおよそ15〜20kmで昼休みとなり、1日で30〜40km移動しています。桑名と宮(熱田)の間(後掲の「表」16〜18)を船で移動する以外は陸路で、この年は大井川も徒歩で渡りました。
昼休みの場所や藩主の宿泊施設となるのが本陣で、一般の旅籠屋〔はたごや〕とは家の造りが違っていました。家格を誇る家で、尼崎藩が利用した本陣の多くも苗字を名乗っています。ただし、毎回の宿泊地が定まっていたわけではなく、また、同じ宿駅でも別の本陣に宿泊することもあったようです。宿泊料はだいたい決まっていましたが、その都度交渉したようです。
家臣の多くは脇本陣などに宿泊しましたが、宿駅火災時には、本陣を警固することになっていました。
通行儀礼と家臣の決まり
参勤交代では他領を通行し、宿泊することになります。そこで、他領を通行するときは先に使者が派遣され領内通行を謝しています。
一方、通行される側もこれに応〔こた〕えます。近江国水口〔みなくち〕藩加藤家の場合、領内横田川まで藩役人が出迎え、城下水口では追手門前で家老・町奉行など、町中では人馬役人・御徒〔おかち〕目付が尼崎藩主を出迎えました。「馳走〔ちそう〕」と呼ばれるこうした行為は幕府領も含めて多くの宿駅で行なわれていたことがわかります。
他藩士や土地の者とトラブルが起こることもあります。それが理由で遅延にでもなれば一大事ですので、他家の行列と通り違うときは馬・駕籠〔かご〕から降り、笠をとり通行し、無礼がないように振る舞うことが家臣団に徹底されています。関所通行時にも注意するよう触れられています。寛政6年の参勤では、こうした20か条以上にも及ぶ取り決めが家臣団に申し渡されています。
寛政6年尼崎藩参勤交代(尼崎→江戸)の行程
〔参考文献〕
藤井譲治「平時の軍事力」(『日本の近世』3、中央公論社、平成3年)
山本博文『参勤交代』(講談社、平成10年)