近世編第3節/人々の暮らしと文化6コラム/養子(岩城卓二・仲敦子)
家の継承
家が継承されるには、跡継ぎが必要です。一時的に女性が家の名前人=当主となることはありましたが、家の継承には男子が必要となります。しかし大奥を抱える徳川将軍家ですら跡継ぎに恵まれず、御三家・御三卿から将軍を迎えているように、実の男子だけで家が継承されていくことはほとんどありえない、と言ってもよいでしょう。
そのため近世には、養子がごくふつうに行なわれました。婿養子の場合もあれば、幼少の頃養子に迎え、その家の継承者にふさわしい人物になるよう教育していくことも少なくありませんでした。
相続時の誓約
上の史料は養子として育てられた常三郎が、守部村のある家を相続するときに交わされた約定書です。養子として育てられたことを感謝し、このたび養父の跡を継ぎ家督を相続するにあたって、「家風」を守ることが養母・親類に対して誓約されています。常三郎の親類が口出しするようなことはなく、もし家長として問題があったときは「名前」を退く。つまりその家を去り、出身地に帰ることが約されました。
「家風」にふさわしい人物とするには、幼少時に養子に迎えることが適していたのでしょうが、それでも相続後の行状が心配され、誓約書が認〔したた〕められたのです。
養子の解消
養子が解消されることも少なくありませんでした。下の史料は、家の名前も出てしまう程の不調法をしでかした養子が、養家を去るときのものです。仲立ちする人物が現れたため、親元に帰り、再起を期すことになりました。
養子は家の継承には不可欠でした。養家はどんな養子を迎えることができるのかによって、家の命運が左右されたと言えるでしょう。
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道意新田村・浜田村の嫁・養子の実家
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