近世編第2節/成長する西摂地域3コラム/度量衡と貨幣(岩城卓二)




度量衡

 江戸幕府は、度量衡〔どりょうこう〕の全国統一基準を定めました。しかし、実際には地域によってかなり違いがあり、たとえば同じ1間〔けん〕でも京間〔きょうま〕は6尺5寸、江戸間は6尺でした。これが完全に統一されるのは明治8年(1875)のことです。下図に示した1坪=3.3uといった現在の広さ・重さを示した数値は、おおよその目安と考えてください。


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金・銀・銭

 江戸を中心とした東日本では金貨、大坂を中心とした西日本ではおもに銀貨が用いられ、少額の取引には銭が遣〔つか〕われました。金1両=銀60匁〔もんめ〕=銭4,000文というのが公定の相場でしたが、実際には相場が立ち、毎日、交換比率は変動しました。また、幕府は財政悪化を解消するため、貨幣改鋳を繰り返しました。含有量を減らした新金貨と、古金貨を交換することで、浮いた差益を手にしようとしたのです。幕府は新金貨を発行すると、古金貨を回収しようとしましたが、実際には回収はすすまず、同じ1両でも使用するときの価値は異なりました。
 貨幣を発行できるのは幕府だけでしたが、諸藩では紙幣である藩札が発行され、藩領を越えて流通する場合も少なくなかったようです。


〔参考文献〕
図は、『一目でわかる江戸時代』(小学館、平成16年)をもとに作成しました。

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