近代編第4節/十五年戦争下の尼崎4コラム/尼崎の鉄筋コンクリート建築(辻川敦)




煉瓦造りから鉄筋コンクリートへ

 明治以来の工業都市尼崎には、近代建築遺産が多く残されています。明治33年(1900)建設の尼崎紡績本社事務所(現ユニチカ尼崎記念館、本編第2節4参照)、同37年頃建設の阪神電鉄尼崎発電所(現阪神資材部西倉庫本編第3節1コラム参照)、同30年代建設の小森純一邸応接棟を大正10年(1921)に移築した尼崎信用組合(現尼信記念館)といった煉瓦〔れんが〕建築が、その代表例です。
 これに続く大正期後半、尼崎市の旧城下町周辺を中心に、学校・庁舎などの公共施設や金融機関などが建設する鉄筋コンクリート造の建築物が登場します。その先駆けとなったのは、ともに大正12年3月に竣工した尼崎第一尋常小学校校舎(部分)と、旧尼崎共立銀行本店(本編第2節4参照)でした。前者が阪神・淡路大震災後に取り壊されもう目にすることができないのに対して、後者は本町〔ほんまち〕ビルとして現存しています。
 これらに続いて昭和戦前期にかけて、現尼崎市域南部を中心に多くの鉄筋コンクリート建築が建てられます。今日も少なからぬ建物が現存しており、街の景観を形づくる地域遺産として近年見直されつつあります。
 ここではそういった、尼崎地域の近代建築遺産である鉄筋コンクリート建築のいくつかをご紹介します。
〔参考文献〕川島智生「大正期における尼崎市公共建築に ついて─市建築技師・末澤周次の事績─」(『地域史研究』30−1、平成12年9月)

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庁舎建築 大庄村役場

 村野藤吾〔とうご〕設計、昭和12年11月竣工。「日本一の村役場」と呼ばれ、当時の大庄〔おおしょう〕村の富裕ぶりがうかがわれます。現大庄公民館。平成15年に登録文化財となりました。写真は竣工当時の外観と貴賓室。


竣工当時の大庄村役場(小西光信氏提供写真)


大庄村役場貴賓室(尼崎市教育委員会所蔵写真)

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庁舎建築 尼崎警察署

 大正15年11月、旧城郭〔じょうかく〕内(現北城内)に竣工。兵庫県下では神戸の長田署・三宮署に次ぐ鉄筋コンクリート造警察庁舎であり、これら初期鉄筋警察庁舎のうち唯一現存しています。当時の県営繕課の設計において標準的な、セセッション様式(ルネッサンス様式からの脱却を標榜〔ひょうぼう〕する当時流行の建築様式)を採用。昭和45年に尼崎中央署が転出すると翌46年に市立城内児童館となり、阪神・淡路大震災後は閉鎖されています。昭和44年撮影、市広報課写真アルバムより。


旧尼崎警察署(昭和44年撮影、市広報課写真アルバムより)

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学校校舎 尼崎第一尋常小学校(城内小)

 昭和9年の室戸台風により現市域の木造小学校3校が倒壊。児童・教員の犠牲者は24人にも及びます。これを機に、学校校舎の鉄筋コンクリート建築化がすすみました。


尼崎第一尋常小学校 昭和戦前期(「戦前期尼崎市営繕関係写真アルバム」より)


城内小学校正面部分(平成8年1月、井上衛〔まもる〕氏撮影)

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学校校舎 尼崎第三尋常小学校(開明小)


昭和12年竣工当時の尼崎第三尋常小学校(平成16年3月統廃合により閉校、現中央地域振興センター、「戦前期尼崎市営繕関係写真アルバム」より))


昭和11〜12年頃、建設中の尼崎第三尋常小学校(「戦前期尼崎市営繕関係写真アルバム」より)

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民間建築 兵庫県農工銀行尼崎支店

 大正12年9月、宮町(現、西本町〔ほんまち〕二丁目)の本町通り商店街沿いに竣工。鉄筋コンクリート構造・壁体煉瓦積みという、このビルの竣工と時をおなじくして発生した関東大震災当時までの、一般的な構造でした。この写真が撮影された昭和45年当時は石油会社の事業所となっており、平成13年に解体されました。


旧兵庫県農工銀行尼崎支店(昭和45年、市史編修室撮影)

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