近代編第3節/工業都市尼崎の形成1コラム/明治・大正期の尼崎の景観(井上衛)
- (1)庄下川の雪景色
- (2)阪神電鉄尼崎発電所
- (3)尼崎瓦斯のガスタンク
- (4)六島新田の埋め立て
- (5)旧城郭内南浜東側より北西を望む
- (6)日本醤油醸造尼崎第二工場
- (7)小島燐寸第一工場
- (8)旭硝子尼崎工場
明治期後半から大正期にかけて、旧尼崎城下町周辺には、いくつもの工場が建設されます。
旧城郭〔じょうかく〕の濠〔ほり〕も埋め立てられ、役場や学校用地、住宅地となるなど、近世以来のまちのたたずまいは、大きな変貌〔へんぼう〕をとげていきます。
(1)庄下川の雪景色(大正12年-1923-頃)
尼崎城の外濠でもあった庄下〔しょうげ〕川は、夏になると子供たちが泳ぎに興じ、明治43年(1910)には西岸に庄下遊園地が作られるなど、町民の憩いの場でした。しかし、大正期には上流に大阪板紙の工場が建設され、廃水による公害問題が起こりました。阪神本線から北を望んで撮影しています。(小西乙次氏撮影)
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(2)阪神電鉄尼崎発電所
明治38年の阪神電鉄開業を前に建てられた火力発電所。電鉄のみならず沿線町村にも電力を供給しました。大正8年には発電所としての役目を終えますが、建物の一部は現在も倉庫として利用されています。(加藤みつ氏所蔵絵はがきより、撮影年代不詳)
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(3)尼崎瓦斯のガスタンク(大正5年頃)
尼崎瓦斯〔ガス〕は明治45年、別所村北鳥島の現大阪ガス尼崎営業所の場所に設立され、尼崎町・立花村・伊丹町などにガスを供給しました。(「御大典紀念献上 尼崎市写真帖」より)
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(4)六島新田の埋め立て(明治40年頃)
東より望む。旧城郭北側の外濠が埋め立てられ、住宅地が開発されました。右手の煙を出す煙突が阪神電鉄尼崎発電所、左手の三角屋根が尼崎尋常高等小学校です。(『評伝六島誠之助〔せいのすけ〕』より)
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(6)日本醤油醸造尼崎第二工場(明治41年頃)
明治40年創業の日本醤油醸造(株)は、翌41年、東京小名木川工場に続いて尼崎町向島に当時国内最大規模の第二工場を建設します。しかしながら同工場はわずか2年で火災により焼失。同社もまもなく倒産しました。(同社発行絵はがきより)
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(8)旭硝子尼崎工場
明治40年に中在家〔なかざいけ〕町に創設された旭硝子〔ガラス〕の最初の工場として、新城屋新田の芋畑を買収して建設され、42年に操業を開始しました。(大正3年頃同社発行の絵はがきより)
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